ラキ・セナナヤケは2021年5月30日、83歳でご逝去されました。ご生前のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
「お〜!電話が来るのまってたよ〜。明日の朝か夕方にいらっしゃいな〜」
「明日コロンボに帰るんです。12時、14時ごろはいかがですか?」
「う〜ん、昼間は暑いからね。だったら10時ごろいらっしゃいな」
「承知しました。それでは明日10時に。楽しみにしています」
「Righto~(おっけ〜)」
ゆっくりとした低音の素敵な声の主。電話で数分話しただけで、「あ、この人すごくいい人だ」と人柄が伝わって来ます。電話の主はスリランカ版岡本太郎はたまたピカソ、ラキ・セナナヤケです。
トロピカル建築の第一人者として知られるスリランカ出身の建築家ジェフリー・バワの建築に、数々の彫刻や壁画が残されていることでも知られています。
巨大な馬の石像に迎えられ、足を踏み入れたのは1971年ラキが移り住み、ラキの自宅であり、コミューンのようなコミュニティーを築いたディヤブブラ。
途中、道に迷いましたがバイクに乗った青年が逆方向なのにわざわざエスコートしてくれました。ドライバーが「村の若者はやっぱり優しくていいよね」と一言。
敷地内に入ると、池を臨む木々に囲まれた高台の上、オレンジのサロンを纏ったラキを中心に5-6人の若者が輪になって椅子に腰掛けています。誰でもウェルカム、オープンな雰囲気なのは楽しげなラキの笑顔がなせる魔法のよう。まさにコミューン、はたまたサロンのような。
「Oh Dear よくきたね〜」
「お会いできて光栄です。お土産にウッドアップル持ってきました」
「ウッドアップル、僕も大好きなんだけど象とウッドアップルの面白い話知ってるかい?フフフ」
と初対面なのに、古くからの友人のように早速お話が始まります。途中、ラキを囲んでいた若者たちがお礼を言って退席したので聞いてみます。
「彼らはアートを学びに来たんですか?」
「いやいや〜、どこからか来た若者だよ。今はホテルも運営されてるから、なんだなんだとふらっと立ち寄る人も多くてね〜。色んな人が入れ替わり立ち代わりやってくるんだよ。といってもここは家、個人宅なんだけどね〜フフフ。知らない人が自分の家の中をふらっと歩いてたり、ランチをとってたり、びっくりしちゃうけど、面白いよね〜フフフ」
「My Dear~ 日本と言えばあれあれ、ワサビ。美味しいよね〜。ところで日本でびっくりしたことと言えば、日本人はシンハラ語をすぐ覚えるよね。国会議事堂の建設をしていた時も、働いていた三井建設の日本人はすぐシンハラ語おぼえちゃってね〜フフフ」
「カンダラマに泊まってたんだね。あれはバワのホテルの中でも面白い1件だね。5階建ての巨大な建てものが緑に囲まれて外から全く見えないんだもん。
でもバワは細部には全然こだわらないんだよね、建築家っていうのはこれだからね〜。バスルームのドアとか、もうこーんなちっちゃい取手しかついてなくて思わず言っちゃったよ、フフフ。
おいおいバワ、こんな取手だと、宿泊客のほとんどがバスルームに閉じ込められるぞって。でも全然気にもしないんだから、フフフ。
スタッフ用の部屋とかにも全然こだわりがなくてね。まぁ、スリランカにはまだまだカーストがあるからね、君もわかるだろうけど」
「コロンボは大雨らしいね〜。ドライゾーン(アヌラーダプラ やダンブッラのエリア)の方が過ごしやすいのにね。マラリヤが発生した時代に人々は南の住みにくいウェットゾーンに移ったんだよ」
「でもアヌラーダプラとかすごい暑いですよね?」
「Oh Dear~ それは木がないからだよ。昔はアヌラーダプラもここみたいに緑に囲まれてたんだ。それがイギリス人が遺跡を発見してから全部切り倒しちゃったんだよね。木々があれば本当に過ごしやすい場所だよ。だから王朝が栄えたんだ」
終始楽しそうに出て来るは出て来るは色んなお話。書ききれないのでこの辺で。残りは写真をみながらお楽しみください。
興味のある方は下記のYoutube Videoもおすすめです。彼のシンプルさ、人間味が伝わって来ます。
10年以上に渡り一度絶対訪れたいと思っていた場所。主人の具合が悪かったので1時間ほどで席を後にします。1937年生まれの82才。まだまだ長生きしそうなのでまた来年会いに行きます。スリランカに来ると会いたくなる人が、また一人増えました。
ラキが作ったコミューンのような場所、ディヤブブラ。数年前からブティックホテルとしても運営されています。全5部屋。アートに興味のある人にはぜひ宿泊してほしい場所。
巨大な馬の石像が迎えてくれます。
「彫刻もやるし、ガーデニングもやるし、建築もやるんだけど、僕はなんのクラリフィケーション(資格)ももってないんだよね〜、フフフ」
「見て見て、僕の新しいアート作品。有名な日本人のコンポーザーでToru Takemitsuって知っているかい?彼の曲でRain Treeっていうのがあってね、それにインスピレーションを受けたんだよ、素材はアルミニウムと…(ほにゃららほにゃらら)池の水を上げると木から雨が降るんだよ」
動物や植物からインスピレーションを受けた作品の数々。ラキは、やはりバワと共に活躍したバティックアーティストとして知られるエナ・デ・シルバのバティック工房の立ち上げにも携わりました。
Youtubeのインタビューより
「ローカルの人々、ローカルのデザイン。エナが作ったバッティクのことだけど。先住民的な。あなたの絵画や彫刻も、この国に根付いている(ルーツがある)ようですが」
「うーん、僕はそんな風には思わないなMy dear。僕もエナもどこにルーツがあるかなんて考えもしなかった。
なぜなら、エジプトのイラストレーションとかテキスタイルの本とか、エナは巨大なインドのテキスタイルの本を持っていて、あとミャンマーのとか。
もう、素敵な物が本当に沢山あって!これらを組み合わせて僕たちがやってることになったんだ。この国にルーツがなきゃいけないとか、そんなことどうでもいいというか….ハハハ」
軽〜く国境の概念を越えていきます。本当にシンプルな人です。世界には素敵な物が本当に沢山あって!!ただそれだけ。
ラキの脇で作業している若者に指示を出すラキ。
「おー、そんな感じでいいよ。フフフ、これはこれからユニコーンになるんだよ〜。羽と角をつけてねフフフ…」
ラキの隣にいたインドから休暇に来ている、お姉様のラ二がすかさずつっこみ。「ただの馬にしといた方が良いわよ」「Oh Dear~」とラキ。
ラ二さんはインドはタミルナドゥ州の辺鄙な貧困村に移り住みソーシャルワークを長年されているそうです。今もインドに住んでいて休暇で来たのだとか。
「この人は僕の家族の中でもスピリチュアルっていうの?もうしかたがないんだからね〜」と呆れるラキ。
Youtubeのインタビューより
「(ライトハウスホテルの)螺旋階段の彫刻はね、最初バワは壁に絵を描いてほしいって言ったの。すごい大きい壁にね。だから言ったのよ。
それだと最低でも6ヶ月、1年描き続けなきゃいけない、僕しかここで働いてないからねって。その代わりに彫刻にしたらどうかってね。そしたら他の人に制作を頼めるから、フフフ。壁に絵を書くとWeak(弱い)な感じになって、空間にも貢献しない。そう言ったら彼は承諾したの。
彼はこれくらい(腰の高さ)の彫刻が螺旋階段を登るようなのを考えてたんだろうけど、彼は喜びながら驚いてたよ。彫刻は人間以上の高さがあったからね!フフフ」
ラキの工房では3人の若者達が制作に勤しんでいました。ディヤブブラはコミューンであり、ワークショップでもあります。
「Oh Dear~ ちょっとお願いがあるの。日本の、大阪のバーに僕の大きなアート作品があるはずなんだけど写真取って来てくれないかな〜。
大阪万博の時に、スリランカ政府からの依頼でセイロンパヴィリオンに飾る菩提樹をかたどった大きなモニュメントを作ったの。政府はスリランカから大阪までの輸送費は出したんだけど、大阪からスリランカに持って帰る予算はなくてね、フフフ。こ〜んなに大きいからね。
それでね、どうしたかっていうと日本で売りに出したの。大阪のバーが買取ってお店に飾ってるって話なんだけど、探して写真取って来てくれないかな〜?万博の時の写真はあるんだけど、その後の写真はなくてね。もう一度見たいんだよね。バーにあるなんて面白いでしょ、フフフ。」
「バーって言っても、大阪にたくさんありますよ!私も実物を見たいので頑張って探したいですけど…」
「閃いた!あれあれ、警察に聞けばいいよ。警察はきっと全部のバーを把握してるでしょ、フフフ」
ということで、1970年から行方不明なこちらの写真の左側に映る巨大な菩提樹のモニュメントを、スリランカの岡本太郎はたまたピカソ、著名な芸術家で制作者のラキ・セナナヤケ氏が探しています。大阪のバーにあるそうですが、「何年にどこどこで見た」といった情報などございましたらぜひご連絡ください!